日付 できごとろじぃ
2005年
12月
31日
 本年もいろいろお世話になりました。

 今月は殆ど牧場に行かずに過ごすこととなり欲求不満の毎日が続いている。
することもあるし、したいこともあるのだがやはり師走は忙しい。
 
 そこで、本日は今年の総括を試みることにする。

 今年1月はまず、岡崎号の引き取りで幕を開けた。
1月10日。強い風の中を愛知県は岡崎市に向けて出発。
天気も良く、今年ならまずムリだろうが凍結にも会わずにスムースに引き取りは完了した。
 出品者の浜島氏は私の先輩の友達という奇遇もあり、これからのXZ道のディープさを象徴するような2005年初めの行事であった。

 そして2月。
 四国の観音寺へXS250スペシャルを引き取りに向かった。
人に言えない車を借りて(XZーパラでは公言していたが)明石海峡大橋を渡り吉野川をさかのぼり、2日間の強行日程で旧牧場にXS250を降ろした。
 このXS250こそが2005年の活動の原点とも言える。
レストアに挑戦したのだがヤフオクでの人気故に高騰するパーツの値段、バイク自体の絶対的な旧式さ。
 XZを2台レストア(しかも状態 良)した自負もあり、簡単に考えていた私には良い薬となった。
 また、レストアを諦めて各デバイスをヤフオクに出品した時の値段の上がり様は・・・これもカルチャーショックだった。
 XZのデバイスなんて、落札するにしても相入札が無く、自分一人の入札→安値で落札なんて当たり前の話だったのだが・・。出品して5,6分も経つともうウォッチが入るという状態。
 結局XS250ミッドナイトスペシャルは+10万円ほどの利益をもたらしてくれたが得も言われぬ敗北感にまみれさせてくれた。
 XSを処分して換わって新牧場に入ってきたSRX250とSRX−4。
コイツらは単車整備の楽しさ、自分で作る楽しさを存分に味わわせてくれたのだが・・・訳あって2台とも売りに出した。これは後で述べる。

 4月、牧場の引っ越しがあってすぐ、「どらごん」のキャブレター不調の原因が突き止められた。
 これは大きな収穫だった。
サイトマップページの背景画像にもなっているメーター越しの写真は、完調なって初めてのツーリング時のものだ。
 水温も安定し、途中エンストすることもなく200Km弱のツーリングを楽々こなしてくれたどらごん〜XZ400に「やはりコレが一番」と嬉しさに震えた春の一時であった。
 そしてこのHP、「XZ−Style.com」の始動もこの時期だ。

 5月、ゴールデンウィーク真っ最中、XZ−パラダイスのオーナー鈴木氏と尊敬する瀬田川氏に会う機会に恵まれた。
 関西オフ会と言うことで非常に濃密な2日間を過ごさせて頂き至福の時であった。
 また、レストアしたXZ/Dふぁるこん号を売りに出した。
何故かと聞かれても。。調子も良く、状態も綺麗で自分でも売りに出す決心をしたのが未だに何故かははっきりとはしない。が、言えることは、日本にXZのオーナーを増やしたいと言う思いがあったのは嘘ではない。
 事実、三重県の四日市にヨメに出たふぁるこん号は非常に気に入られて新オーナーの元で新しいバイク人生が始まっていると人づてに聞いた。それは本当に嬉しいことで、売りに出した目的はコレだったんだなと、納得できる部分があった。

 6月にはSRX250の完成と登録。足となるべくSRXはレストアしたのだが、非常に良い単車で足〜ツーリングへとなんでもこなせる文字通り「マルチパーパス」マシンとしての完成度の高さに今更ながら80年代バイクの底力を見せつけられた思いがした。
 夏、殆どの休日はどらごんのツーリングとSRX−4のレストアにかかる。
6月半ばの龍神ツーリングは久しぶりにXZでコーナーを攻めた。
 体力勝負のコーナーリング(XZ)ではさすがに昔のように続けられなくなったが、スリルと快感は昔ながらのモノであった。

 7月、龍宮城へ2台のXZ/Dを引き取りに行く。
 ここで瀬田川氏、龍宮城主と再会を果たし、また瀬田川氏の「黒珊瑚プロジェクト」私の「飛燕プロジェクト」が産声を上げた。
 龍宮城主と龍宮城にある後2台のXZ/Dを頂く約束をし、文字通り「XZ牧場」にするべく心の中に燃え上がった「飛燕プロジェクト」への思い。この半年間、忘れかけていた「XZをレストアする」と言うXZ道の本道。夏の大きな収穫であった。

 夏の終わり、SRX−4が完成した。
オリジナル塗色のフレームやXZ400のホイル、ディスクローターなど、オリジナリティーあふれる単車に仕上がったのだが。。。これも手放すことになる。
 9月、再び龍宮城へ残りのXZ/Dを引き取りに行く。
夏の終わりの龍宮城行では瀬田川氏の情熱と知識、見識に圧倒されながら少し酷い状況のXZを蘇らせる決意を新たに会えなかった龍宮城主に誓った。

 10月、XZ道に大きな変化が起こった。
飛龍号のレストアにまず、龍宮城から来た4台のXZを解体し、デバイスを分類し、整理することから始めていたのだが3台目をバラして整理中に突如その変化は訪れた。
 そう変化することを望んではいたのだが、今の経済力、時間的な余力、それから対象の希少さから諦めていた変化。
 それはXZ550の入手。
 今年特にXZ550豊作の年であったのはXZパラダイスメンバーの会話にしょっちゅう上っていた事であるが10月最初の時点で今年日の目を見た、或いは新オーナーになるべく連絡のあったXZ550は既に6台※1を数え、これ以降、本年に限らずもう無いだろうとパラのメンバーでさえ誰言うともなく当然の様に会話していた。
 しかし・・・10月24日。
パラの投稿に始まったたった30分、突然の出来事だった。
それによって知らされた情報〜ヤフオクで出品されていたXZ550を希望落札価格で落札したのである。
 それは今牧場にある「玄龍」である。
10月30日、京都にあるKRPへ玄龍を引き取りに行ったのだが、パラのメンバーさん二人(オーナー氏&マックビーマー氏)が駆けつけてくれた。
 未だに私が550のオーナーになっていると言う事実も信じがたいモノがあるが現実、玄龍とその登録に必要な書類は手許にある。
 整備して、私が免許を取れば乗り出していけるのである。
 巨大なXZ/Dのカウルは帰ってきた。
そのために2台のSRX達は新オーナーの元へ引き取られていった。
 再び牧場はXZのみとなり、今年最初の状態に戻ったわけである。
また、飛燕から始まった漢字の命名法は550、玄龍にも受け継がれたのはお察しの通り。
これに伴って、どらごんも→飛龍 とした。飛龍は2度目の改名になる。

 11月。
 記念すべきXZ全国ミーティング。
磐田のヤマハ発動機本社にXZのエキゾーストがこだました。聞け!ヤマハ発動機のブレーン達よ。そして、愛情を持ってXZを送り出したエンジニア、係わった担当者・・・。
売れないからと、「ダメバイク」の烙印を押したバカな管理職よ。
 こんなに愛されている「ダメバイク」他にあるなら見せてみるが良い。
相当の気合いを持ってヤマハに乗り込んだ私たちであるが、ヒストリックブースにはなんとXZ400が展示されていた。
 前言撤回。(笑)やはりヤマハはヤマハだった。
嬉しくて何度も何度もその前に行って見た。感無量と言っても良かった。
 展示車両はリペイントされ、磨き上げられ、誇らしげであった。
 雑誌を見ても、ヤマハヒストリーを見ても、XZなんてどこにも無いと思っていたのに。。
 期間ごとに展示車両を換えると言うことであるが、それでもXZを展示する期間があり、展示するべき車両が有るというのは感慨深い。やはりヤマハはヤマハ。偶然でも嬉しかった。
 バンガローでは尽きることのないXZ話。次の日は雑誌※2の取材とこの2日間はXZ一色であった。
 そんなこんなでやはりXZ1色の一年で有ったわけだが・・・寄り道、道草もした。
 来る年はXZ牧場の本質に立ち帰り、牧場的にノンビリと、XZ550の整備〜停滞している飛燕号の再生、飛龍のメンテナンス、こういう事をメインに一年過ごして行こうと思う。

※1 1台目、羽田の片隅でバトルホーク氏に拾われたXZ550
   2台目、瀬田川氏の友人氏が所有の550、瀬田川氏の元へ
   3台目、北海道のメンバーゴロスケさん所有→しゅうじ氏の元に
   4台目、ヤフオクで改造多数の書類無しXZ550。レオンさんの元に
   5台目、ヤフオクに山梨県のバイク屋が出品、レオンさん落札
   6台目、東京のバイク屋がバイクブロスにアップ、鹿児島の鎌田さんが購入
    ついでにこの後の550の状況は
   7台目、KRPがヤフオクにアップ、玄龍。
   8台目、9台目、いずれもパラのメンバーさんからの情報で、新潟の沢田氏が購入。
※2 1月15日号、ミスターバイクBG
 
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